陰陽のジャーニー①
私がマクロビオティックに出会ったのは、
2010年NYはハーレムという街で、3歳の双子を住み込みベビーシッターさせてもらっていた時。学校もあと1セメスターで卒業というタイミングで、このファミリーに出会い
家賃と引き換えに、パートタイムで子どもたちのお世話をしながら、ブラウンストーンの
最上階の部屋に間借りさせてもらい生活していました。
ホストのお母さんは日本人で、私立音楽学校の先生をしつつ、プライベートレッスンとして
大江千里さんがJAZZを学びに家にやってきていたのを思いだします。
その数年前から、NYでは”マクロビオティック”が流行っていた時代でした。
私がアルバイトしていたカフェの、同じ通りの向かい側にNYで唯一のマクロビオティックのレストランがあり、当時マドンナがいち早く目をつけ、食べに来ていることに話題がありました。
ワカメや海藻、豆腐を使ったメニューで、日本人にしたらザ☆家庭料理のラインアップに何十ドルも支払うなんて、と思うところですが、NYのヘルスコンシャス層に大人気だったと思います。
そのマクロビオティックがNYで伝わり始めた際に、久司道夫先生の通訳をしていたのが
双子のお母さんでした。マクロビオティックの理念に感銘を受けた彼女は、子どもを授かるや否や食生活をほぼ、マクロビに変えていましたので、私が3歳の双子たちに会った時には、玄米菜食育ちの子どもたちでした。彼女が作る食事を、子どもたちに食べさせるのが私の役目。
よく蕎麦や麦納豆など、一緒につまみ食いしていたなぁ〜。
双子の家族が生活するスペースと、間借りスペースは別々にキッチンがあり、個人スペースもプライベートの時間も居心地よく守れていて、恵まれた環境でした。
高機能のコールドプレスジューサーも、家に数台あったので、彼女の作る野菜ジュースを見様見真似で作り始めました、初めて飲んだ時の、酵素が血管まで染み渡る感じ!思いだすだけでもあの時の感動が蘇ります。ビーツを入れるジュースが私はあの時からずっと好きです。
ホストママは野菜の搾りかすを、トマトソースに入れて混んでパスタを作っていました。
ハーレムの生活から、学校卒業とともにハワイ島に移り、息子を妊娠するまで3年くらいマクロビオティック、ベジタリアンをしていました。
特にオアフ島に移った時に、家族を持ちたい!と願っていたので、身体の中の毒素や合成界面活性剤を取るのをやめ、デトックスを心がけ、中身を整えようと意識していたと思います
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2010年は本当に節目の年でした。
内への旅が始まった年、種を蒔いていたんでしょう。自分のことなんて一生かけたって完結しようもなく答えがわかってたら、人生面白いことなんて何もない!
あの時蒔いた種、2021年の今年はその道の師匠に出会うことができました。
上手く学びが咀嚼できなかったり、向き合えなくて手を止めてしまうこともあるあるだけど
自分を苦しめることなく、歩む先が分かっている喜び。
ふっと閃いて、書き始めてしまったこのシリーズ。他人軸にもってかれると書くのは恥ずかしいけれど、これが今のプラクティスなのでしょう。
読むのが億劫、、という方は🎧Podcastの方でご視聴ください。
思考とFlow(口から出てくる流れ)の違いが分かりやすいです。
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