委ねるのほんとうの意味
ヒーリングセッションを受ける前は、物理的なものに頼っていた自分がいる
もちろんそれらのツールが、揺らいでしまった自分を戻してくれたり
気づきを与えてくれたり、サインやヒントを残してくれていたんだろうって思う。
人にタロットを引いてもらっても、オラクルカードを引いても
いつも同じメッセージばかり引いていた。
【次の準備はできている、委ねなさい】
【自然の流れに身を委ねていればすべてはよい方向に向かいます】
そして私は【委ねる】の本当の意味をわかっていなかった。忘れていた。
マインドの思考をストップさせて、ファームへ行き動物の世話をして
雑草をとり、雲を観察して深呼吸をしていた。
自然と雑念が消え、大地に感謝が生まれた。
繋いできてくれた私が存在している命の繋がりにありがたみを感じ
私をここに導いてくれた守護霊を感じることができた。
しばらくここに留まっていたように思う。
必要な人が現れ、表面的ではない掘りだし作業が始まった。
掘っても何も出てこなかった。ノートを睨んで空っぽの自分に途方にくれた。
一緒に感情に伴走してくれる人が現れ始めた。
どこからともなく、ポーーーーーん!とエネルギーが合致した人が
行ったこともない世界中から、心のサポーターとしてただ話を聞いてくれた。
掘っても出てこないと感じていた感情の元のもとは、
私を守るために長いこと忠実に働いてくれていたセキュリティーガードだった。
自己を主張せず、わがままも言わず、私のメンタルと身体を守る仕事に徹した。
サングラスをかけ、黒いスーツをまとい闇に溶け込んだかに見えたその正体は
無価値観だ。
まずはサングラスを捨てた。
色眼鏡で人を判断する必要はないのだ。感情・行動に甲乙、いい悪いをつけているのは
セキュリティーガードの眼鏡の機能。過去の自分の経験がもたらした無価値感。
黒のスーツももういらない。
今の私をありのまま褒めてくれる、受け入れてくれる人に着飾る必要がないから。
心がニュートラルになった時、ポッカリ空洞ができた。
この先のビジネスプランとか、収入とか、どう集客するかとか、、、そんなことが
どこか行ってしまって考えに入らなくなった。どうでもよくなった、
とまでは言わないが、それに何の意味があるんだろう、とニュートラルになった。
その呪縛が取れて、好きな人とZoomで好きなだけ話をしているうちにポコポコと
アイディアが吹き出し、掘り出し作業のペンが進むようになった。
どんなにか過去の無価値感と、将来の【あるべき姿】とのはざまになって
今の自分の欲求に応えてあげていなかったんだろう。
自分が計画する"プラン"より、考えも及ばない素晴らしい世界を
自然界(宇宙)は用意してくれていることに気づき、そこに委ね信頼の念が戻った時
あっさりと、【自分は自分を信頼している✨私は大丈夫】という感覚が
揺るがなくスゥッと戻った。チャクラが整うとは、このことなのか?
NYからハワイ島に自然の流れに委ねるがまま、流れてたどり着いた時に
乗っていた波の感覚が戻った。
オアフ島に来て他人を身体に宿し、生活がひとりのものじゃなくなるのだから、
女性とは何と感情に富んだ、豊かなジャーニーを歩んでいるんだろうと感動する。
私のセキュリティーガードはひとまずリタイヤ。長年の勤労お疲れ様でした。
息子の代まで働いてくれなくて大丈夫なんで。
警備員より、彼を信頼して集ってくれる友や、動物を大切に。
彼自身が宇宙の采配と自分への信頼を濁らせないように、私は信頼を送るよ。
そして私はクニアの土地の神に守られながら、引き続き奥ふかきヒーリングの
世界にしばらく没頭して楽しもう。内面に潜って自分の価値観を吟味していくことが
自分の使命につないでくれる最終面接みたいなものだから。
✨おまけ✨
クニアの山は私の魂が心地よく、安心する場所。
角度が分かりにくい写真だけど、このクニアの山脈は古代ハワイの人たちが
身ごもった女性が横になって、地球に宿っていると考えていた山脈。
(左から頭ー胸ー大きなお腹)
その懐には、バースストーンと呼ばれるハワイ王朝の女性たちが出産に使った
と言われる神聖な石がある聖地があります。ヒーリングスポットと呼ばれているけど
ヒーリングは場所に求めるものじゃないよね😉
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