自然界のメッセージを伝える人
自分の理解と平行して、力強くサポートになってくれる本。
流行や時代のキャッチーなファーストフードのような、一日でペラペラ読めるその時だけ
気休めになる言葉(ももちろん必要な時はある)ではなく、先人の智慧と著者の経験値が交差した1ページ1ページが濃厚な、素晴らしい言霊が詰まった一冊。
一章一章を何度も繰り返し戻っては読み、思いを熟成させていく。
読んでは庭に出て、Hinahinaという植物(ペレの髪の毛、と別名呼ばれている観葉植物)のもつれを解いているうちに、ふわっと掴みどころのない思いが浮かんでは消え、確信に迫れそうで消えていく。
その時に浮かんできたことを、サラッと残しておこうと思う。
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コロナが始まった当初、ステイホームになった息子と庭づくりをしたり、拾った枝でモビールを作ったり家の周りにあるもので工夫して、時間を潰していた。
ちょうどその時居合わせていた都会からのゲストが、出来上がった作品を見て
これ売れるよ、と言ってくれたことが今、Hinahinaに触れながらフラッシュバックされる。
自然界から分けてもらったものを、商品にしてお金にする。
という概念が、その時まで自分の中になかった。衝撃的な瞬間だった。
枝を組み合わせて色を塗り、モビールを作ることより
この枝は、丈夫で朽ちないな。この枝は虫に食われやすい、折れやすいな。
その観察を楽しんでいただけだった。
どの時代にも、開拓者がいて、だからこそ発展してきた文明があったのだろうけれど
ペレの髪(Hinahina)が伝えてくれたことは、ハワイアンも、この本のネイティブアメリカンも《在る》もので充分暮らしを紡いできたものが、土地を奪われ、言葉を取られ、聖なる土地をヒーリングスポットという商品にされてきた。
聖なる土地にしたのは、彼らの素朴で謙虚な自然界との暮らしであって、日々の祈りから生まれる儀式だったというのに。
この人たちが負った悲しみや、憎しみを感じるだろうか?
服従して耐え抜こうとする人もいただろう、
怒りと反発で何かせずにはいられない人だっていたはずだ。
今、私たちはパンデミックという世界規模の共通言語を、各々のカルマがジワジワ出てきたがっているはざまでどう解消していくか、どう昇華していくか取り組んでいると思う。
いい悪い・善か悪か・どっちが勝つか負けるか、ではないのだ。
過去に私たちは、誰しもが迫害された者であり、加担した者だった。
二極化していく、、という文句は私たちを分断へ導く。私は正義であり、あちら側は腐敗だと。その意識を撚り合わせていくのが、このパンデミックに地も風も体験している世代の成せる業なんだと、そう自然は教えてくれる。自分の中の左脳ー右脳、女性性ー男性性を融合していく。自分の中の陰陽を感じ、中庸に戻ってくる術を知っていくこと。正解などない。自分が心地よい方法を今、今、今へ出し惜しまず出していくだけ。
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